2011年
5月
30日
月
福島原発が止まった日
福島原発が地震で運転を停止して翌日の1号機の水素爆発までのドキュメント。
事故発生と同時に、これから起こりえる大惨事を、それに関わる技術者や学者は既に想像したに違いない。刻々と迫る未曾有の災害に、その時、彼らはどんな思いと行動をなしていただろうか。なす術も無く、ただ呆然と腰を抜かしていたのだろうか。もしくは自らを生きながらえるために、免震棟の建屋でうろうろしながら脱出を思いあぐねていたのか、もしくは爆発を阻止するために、防護服に身を包み現場に飛び込んで行ったか。
何をすべきであったか?
これから、起こりえる事態を一刻も早く知らせるべきであった!。
そうすれば、10余年後のガンの発生や人的被害は抑えられたに違いない。爆発が起これば、放射性物質は空中に放たれ、舞い上がったそれは風に乗って飛来する。分かりきったことだ。目に見えぬ悪魔に接した住民たちのこれからの苦しみは…。
13日14時から、14日9時までの19時間。その間に。
これらの悲劇は回避できる20キロ圏外に避難する十分な時間があった。
残念な事だ。これは人災だ。