2011年
7月
12日
火
電磁波の恐怖
私の住む町の某所(宮崎県延岡市大貫町5丁目)では4年ほど前から、付近の住民30名がKDD携帯電話基地局の撤去を訴えて係争中である。
被告のKDD側は、基地は電波法に準じた設置で、電磁波に因る健康被害の事実を否認している。
これは電磁波による健康被害の有無を争う国内では初めての訴訟となった。
すでに多くの住民が健康被害を訴え、原告の一組の夫婦は、耳鳴り、鼻血、肩こり、眼痛、不眠、しびれの症状が深刻でその苦痛に耐えきれず、とうとう引っ越すことに。他にも病院にかかるも治らず、自宅を電磁波から防御するための改造を余儀なくされたり、とすでに色々な健康被害が続出している。
外傷に出ないこの種の健康被害ほど不愉快で苦しいものはない。高じれば精神を犯すであろう。おそらく、感覚を麻痺させる一時しのぎの処方箋しかあるまい。
4年前から、このような健康被害に遭い、経済的な負担を強いられ、何の救済もないこの現状を最近知って、この理不尽さに、行政やマスコミはいったい何も感じないのかと独りで憤った。
都会であれば、モンスターなるものがすぐさま立ち上がり、マスコミをバックにすぐさま解決するのでは。
大人しく振る舞う地方の田舎ゆえの悲しさであるか。
ぼくは毎日のように携帯を使う。携帯は生活の道具である。
しかし、その便利さや快適さの裏に犠牲があれば…。その犠牲は許せない。
KDD側被告は法に準じてるから責任がない、なんて言ってるが、コンプライアンスの前に正義があることを忘れている。
基地の撤去や移設は住民の健康被害に比べればなんと些細で屁のようなもの。解決は容易なはずだ。
我々は原発や米軍基地の恩恵の裏に、原発のある町や沖縄の基地周辺に犠牲を強いてることを忘れてはいない。今や、携帯電話の恩恵の裏にも表立ってないが、同じことが起きているのだ。携帯電話が前者と異なることは、原発も米軍基地も事故が起きた時に初めて大きな犠牲が発生するが、携帯電話基地局は46時中、その近辺に住まう電磁波を「感じる」人に犠牲を強いている。
電磁波は我々の体を縦横無尽に通過する訳だから、放射能より怖いものかも。
きっと、後世では電磁波の、びっくりするような健康被害が明らかになるでしょうが、ケータイ文明で生きる今、知らない方が幸せかもしれませんね。