2011年
8月
22日
月
ようし、いいのを描くぞ!と構えると,得てして良くない
手描きのパースは、ようし!いいのを描くぞと慎重に構えて制作すると,得てして良くない結果となる。デスク周りをきれいに片付け、フェルトペンの新しいペン先を確認し、張り切って描き始めるパースは、上手く仕上がったためしが無いのだ。
きれいに描こうと言う意識は細部にこだわって,全体を見失ないがちだ。
正確なディテールの下描きは、彩色にもまた、その正確な色を求めるもので、否応無 く、細かい色刺しと色重ねが多くなる。それは、水彩特有の一気に流れる線や、にじみやぼかしが無くなり、塗り絵のような個性の無い水彩パースに仕上がるのだ。
ぼくの水彩パースの特徴は従来の手描きパースと違って、水彩画で描くスケッチパースである。従来,いわゆる、CADやレンダリングソフト以前のパー スは全て手描きであったが、その具体的な作業のプロセスは、透視図法で正確に描き上げた下図をイラストボードに写し取り、マスキングしてエアブラシで着色したり、面相筆の筆致で透明やグアッシュ彩色で仕上げて行くものだった。
その理想の仕上がりは,現在の3Dのような リアルなパース画を期待したものであったろう。
だから、誤解を恐れずに言えば、従来の手描きパースは優れたレンダリングソフトの出現でその役目を終えたのだ。
今、求められる手描きのパースは、手描きの味わいで建物を描く水彩画である。
それは、従来の手描きパースと全く別種である。
感動する「絵」に仕上げれば、「建物」は自ずと際立ってくる。ディテールや正確さは二の次だ。
繊細かつ大胆に描こう。